日時:2025年2月22日(土)~23日(日)
場所:七尾市(和倉温泉)穴水町ほか
参加者:17人
昨年の急な衆議院の解散総選挙で中止になった宿泊幹事会の代わりも兼ねて、他地域協での復興研修の実施も参考にしながら、能登半島地震の復興視察と支援を目的に北大阪労福協と合同で能登「復興視察研修会」を実施しました。
2月22日(土)から大雪になる天気予報もあり、出発まではヤキモキしましたが、電車もほぼ定刻通り、私たちの行動場所はほとんど雪にも降られず、悪天候の合間に、ほぼ予定通りの行程で能登「復興視察研修会」が実施できました。
初日は金沢市内で昼食を摂り、震度6強を観測した七尾市にある5大山城「七尾城跡」の石垣の被害状況視察を予定していましたが、山道の積雪状況を考えて七尾市の「食祭市場」での買い物支援に切り替え、早めに宿泊地の和倉温泉へ向かいました。宿泊先の「のと楽」は、昨年11月に一部で営業再開された旅館で温泉と食事を楽しみ懇親を深めました。
2日目は和倉温泉街のホテル・旅館の被害状況と昨年末から工事が始まった護岸の様子を視察しました。発災から1年以上経っているのに、まだまだ手付かずの施設もあり、想像以上に厳しい状況を目の当たりにしました。
和倉温泉の復興が能登の復興につながるとも言われ、和倉温泉街も七尾湾に面した眺望自慢の施設が多く、護岸整備から始まると言われています。
▲食祭市場
▲護岸
▲和倉温泉
▲和倉温泉
▲和倉護岸
その後、能登半島地震の風化を防ぎ、教訓を伝えるために、昨年9月16日に運航が開始された「のと鉄道・語り部列車」に乗車するため穴水町に向かいました。穴水駅からの乗車理由は、午前中の語り部列車が大手旅行会社と提携で一般利用ができないからです。そのために、時間調整と支援目的で「みそまんじゅう本舗 竹内」に寄り、能登中島町にある特殊な演劇専門劇場「能登演劇堂」の施設見学を企画しましたが、当日は名誉館長の仲代達也さんが来館のため入館制限がかかり、車窓からの外観のみの見学になりました。
なお、和倉温泉から穴水までの道のりでは一般道を移動したせいか、ブルーシートが目につき、倒れたままの建物もありました。また、反対に建設中の建物も目につき、仮設集合住宅も何か所かで見受けられました。
そして、最大目的の「語り部列車」に乗車する穴水駅に隣接の「道の駅・穴水物産館」に早めに到着して買い物支援をおこない、昨年10月から営業を開始された、すぐ近くの仮設商店街「あなみずスマイルマルシェ」の食堂「雁月」を休日に開けていただき、早めの昼食をいただきました。
新鮮なボリュウムある食事を出し終えると、年配の女将さんが被災当時の話をされ始め「老人ホームが被災してタライ回しにされたり、持病の悪化やストレス・疲労の関連死もあった」などのニュースにはあまり出ないことを語られ、被害の大きさ厳しさ、多くの深い悲しみに心が打ちひしがれました。その上、倒れたままの家も多いが、解体業者の宿泊施設がなく進んでいない。若者の地元離れが多くて、いつまで店も営業して行けるか分からないなど、穴水町の将来も含めて心配されていました。
その後、穴水駅に向かい「語り部列車」に乗車し、語り部さんから土砂崩れのあったトンネル、平地になった集落跡や、余震の揺れで観光列車の出発をとどまり津波から逃れるため乗客を連れて避難した丘、そして沿線の魅力の発信(桜駅、ボラ待ち櫓、棚田や白鳥飛来地)などの案内もあり、別のガイドさんは説明に合わせてパネル写真を各座席まで見せに来てくれました。七尾駅までの40分強の「語り部列車」の貴重な乗車体験を終えて、被災地を後にし、新幹線乗車の新高岡駅まで移動して大阪への帰路につきました。
当初はこの後に、複数の家屋が倒壊し街並みが一変した七尾市の「一本杉通り商店街」の視察を入れていましたが、帰着時間と新高岡駅までの移動時間の関係で断念しました。
▲穴水スマイルマルシェ
▲のと鉄道
▲語り部列車
▲語り部列車
▲語り部列車
参加者の一部からは自組織でも能登の視察と「語り部列車」に乗りに来たいとか、広報誌に載せて広めたいなどのうれしい感想も頂き、実施して良かったと思える意義のある2日間の研修会になりました。
まだまだ、遅れている復興状況を目の当たりにして、表にはあまり出てこない多くの不安や課題点も聞き、一日も早い能登地域の復興に、大阪からできることに取り組んでいきたいと参加者で強く確認しました。